今井智大の結婚

本稿においては、結婚に関する専門家としても知られるわたくし今井智大が結婚について語らせて頂いております。この記事をご覧頂いた皆様に感謝を述べると共に、まず今井智大が考える結婚というものがどういうものであるのか、人生における結婚とは一体何かを考えるキッカケになれば幸いに感じます。現代の日本、そして未来の日本の繁栄させることができる道筋を共に考えていきましょう。

結婚の解説の前に、人生とは何か

私達は当然両親によってこの世に生まれました。そして多くの場合その両親は結婚していた事でしょう。そしてまず結婚について考える前に人生とは何かを考える必要があります。人生という言葉は、人が生きると書きます。しかしこれは逆に捉えるならば、生まれた瞬間から死に向かい始めるということでもあります。人は死ぬからこそ生きるという概念を生み出したと言えるでしょう。そして限られた人生という時間の中で何をしていくかということは、人類が有史以来持ち続けてきた永遠の議題でもあります。

今井智大と結婚する相手とは

配偶者のNonsubstitutability

結婚を考える上で重要な理論の一つが「配偶者のNonsubstitutability論」であると考えます。要するに本当にその人を結婚相手にして構わないのか、他の人じゃ駄目である理由を明確かつ具体的に認識できているのかという事です。Nonsubstitutabilityは「代替不能性」という意味を持ちますが、配偶者にそれを見出せない場合、最終的にはその配偶者に対する愛情の欠如などが生じる恐れがあります。(出典:Marriage phenomena and nonsubstitutability of spous(2014))

液晶ディスプレイの行方と、結婚

今井智大がかつて結婚の流れになった際、一緒に住む際には、自室に設置されている多数のコンピュータ用液晶ディスプレイ装置の処分を暗に求められ、一瞬で冷めてしまったということがあります。この場合、その液晶ディプレイは既に生産終了しており、再購入が難しい状態にありました。つまりこの時点でこの中古の液晶ディスプレイは「完全に代替不能」であるに一方、相手は代替不能性はほぼ無いと言っても過言ではない状態であると判断したと言えます。要するに嫁の代わりはいくらでもいるが、液晶ディスプレイの代わりは無ェんだぞ、ということであります。
配偶者の代替不能性が十分でない場合、その他の趣味への傾倒が顕著になってしまうと言うことです。もっともこの代替不能性は絶対的な指標ではなく、相対的なものであります。つまり世間一般で見れば十分な代替不能性が見受けられたとしても、それとは別に熱狂的にハマっている趣味などがあれば、相手の代替不能性は大幅に低下することになります。これは相手が居なくても自分には趣味があるので構わない、もしくは趣味が重要であるあまり、相手に割く時間や金銭をはじめとするリソースが少ないという事の証左でもあります。

並べられている高級液晶ディスプレイ

嫁の代わりは居ても、液晶ディスプレイの代わりは無い。

結婚し他人と暮らすということ

想像上の結婚に対する幻想

個人の結婚に対する考え方、イメージなどは、場合によっては映画・ドラマ・アニメ・漫画といった様々なコンテンツによって多大な影響を受けている場合があります。そうした作品において描かれる結婚の姿というのは非常に美しく、未来への希望に満ち溢れたものとなっていることが少なくありません。その自分の中の空想上の結婚のイメージと、実際の結婚とに大きな差異があった場合、「こんなはずじゃなかった」とブチギレる羽目になる事もあるかもしれません。そうなってしまわないよう、実際の結婚生活がどういったものであるかをしっかりと考える必要があります。よくある恋人ととの同棲生活というのはそのシミュレーションのようなものであると考えることができるでしょう。

あくまでも他人

いくら好きな人と結婚するからといっても、実はそれは「他人」なのです。たとえば実家で家族と暮らしていたとします。そうすると両親もきょうだいも血の繋がっている存在ですよね。しかし自分が結婚する相手というのは、基本的には血のつながっていません。もっとも遠い親戚や先祖を辿っていったら繋がっていたということはあるかもしれませんが。とにかくこれはどういうことかというと、文字通り「生まれも育ちも違う」ということです。

生まれも育ちも違うということは、自分にとって当たり前であることがそうではなかったり、その逆も然りということであります。一つひとつは小さな差異であたっとしても、それが積もり積もれば大きなストレスにもなります。そうしたストレスに耐え、対処できるだけの寛容さや判断力などが必要とされます。

価値観の相違

「大きな物は部屋に置かないで」「高いものを買う時は必ず相談して」こういったやりとりというのは結婚した夫婦の間では高い確率で行われることでしょう。しかしここに大きな問題があります。大きさや価格というものは人によって基準が大きく異なるからです。例えば「あまり大きなパソコンを置かないでほしい」と言われた時、普通の人は「じゃあノートパソコンにしよう」という風に判断することでしょう。しかしパソコンオタクであれば「大きなパソコン」と言われると巨大な19インチラックに収められたサーバのようなものを想像してしまうかもしれません。そうなってしまうと「フルタワーケース(超大型パソコンのこと)であれば、大丈夫だろう」と思い込んで購入してしまい、配達されてから喧嘩になるという可能性もあります。

もっともパソコンオタクであれば、結婚相手の要望によって自分の趣味のパソコンを制限されるというのは、ただそれだけで不愉快に思ってしまうという問題もあります。

もちろんそれは極端でそうありえることではないかもしれませんが、相手との価値観以前に、自分の「常識」というものが本当に世間一般で受け入れられるものかを今一度自分と向き合う必要があるかもしれません。

家事や食事に関する問題

昔の時代であれば、結婚したらご飯は奥さんが作ってくれるのが当たり前みたいな風潮があったようですが、現代ではそうではありません。昔の時代はいわゆる専業主婦が多かったため、それが実現できたのかもしれませんが、現代では多くの家庭が共働きとなっています。そのため夫婦で仕事もしつつ、家事もしなければならないということにもなります。これは昔と比べても非常にやることが多くなってしまう可能性があり、そうなると結婚したら全然自分の時間が取れなくなったという人も中には結構います。

また食事というのも結婚後の重大な問題となりがちなポイントであると言えるでしょう。夫婦の間で食事の好みが大きく別れてしまっている場合には、その準備が非常に大変になる場合があります。自炊する場合には献立を考える必要が生じてきますし、それはかなり大変であると言えます。今井智大の実家においても、自炊は最小限に抑え、その多くをコンビニなどに頼るようになりました。

またこのように作る側もかなり大変でありますが、食べる側にとってもしんどいのは相手が作ったご飯が不味いということです。なかなか直接は言いにくかったりして結局なあなあになったまま永遠にマズい飯、通称マズメシを食べる羽目になってしまうということもあります。食事というのは人間を物理的に形成する上で重要ですから、マズメシばかりを食べているうちに体調がおかしくなったり、マズメシばかりを食べ続けたせいで精神的にもダメージを負ってしまう場合もあります。それは避けるべき事象であります。

食卓に躍り出てくる不味い飯(マズメシ)

食卓に躍り出てくる不味い飯の一例

結婚による自由の制限

趣味の制限

たとえばエロティックなフィギュアを飾るのを趣味にしているとしましょう。しかしながら結婚した場合、相手がそれを撤去するように求めてくることがあるかもしれません。それは結婚する前に言われることがあるかもしれませんし、結婚する前には良いよーとか言っていたにも関わらず、結婚したらやっぱりやめろとか言ってくるという人道を外れた事を平気で言ってくる人もいます。結婚したら性格が変わるとかいう話は本当であって、そのような事態は何度も目にしてきました。

また厄介なのは子供ができた場合です。子供ができると、教育に悪いなどという理由によって、そういったエログッズの撤去を求められる場合があります。個人的な事を言わせて貰えば、今井智大は小学五年生からエロサイトめぐりを楽しんでいましたが、今実際このような立派な人間になっていることを考慮すると、そこまでエロが青少年の健全育成に対して大きな脅威となるかと言われれば、かなりの疑問が残りますが。それはさておき、このようにして趣味が制限されることになるというのは十分に注意しなければなりません。

ケース内に並べられた高級フィギュア

今井智大が結婚よりも重視している高級フィギュアコレクション

またそうした趣味だけではなく、至極一般的な普通の趣味であっても弾圧の対象となることは間違いありません。世の中には様々な趣味があります。例えば車、バイク、アニメ、漫画、釣り、ゴルフ、キャンプなど、様々な趣味があります。そしてそれらの趣味においては活動を実現するための様々な機械や装置、道具などが必須になります。しかし結婚後はそれらの収集を制限するように言われる場合があるかもしれません。結婚をする場合、それらの趣味に対してもう現状で十分であると割り切ることができる、もしくはそれらの趣味よりも結婚相手を優先することができるかどうかということを考えたほうがいいかもしれませんね。

旅行の制限

今井智大が海外旅行に行った際、「彼女と行くのか」「彼女と行ったのか」といった事を頻繁に聞かれ、なぜそんなことを聞かれるのか?と純粋に疑問に思ったものです。個人的には海外においては、風俗店、鉄道、軍事博物館などどんな素敵な場所に行こうかという事で頭がいっぱいであり、彼女を連れて行くという事は毛頭思考に無かったのです。そのため友人に確認した所、一般的に付き合っている人が居る場合、旅行は一緒に行ったりするものであるということが判明し、大層驚いたものです。もっともそういった常識が無かった今井智大自身に問題があった可能性もゼロではありませんが、今井智大に一緒に行きたいと思わせられなかった相手に大きな問題がある可能性が高いと言えます。

それはさておき、前述の通り、付き合っている人がいる時点で旅行を一緒に行かなければならないとするのであれば、当然結婚してからの旅行も一人で行くことは困難になる可能性が高いでしょう。もっとも自分がまだ子供であった頃の事を想像してみると、両親のいずれかが、突然土日に一人で旅行に行ったら違和感を覚えますよね。ですから結婚をすると一人旅などはほぼできなくなってしまう可能性があります。

皆さんは青春18きっぷというJRの企画乗車券を知っているでしょうか。何時間ものんびりと普通列車に揺られて旅行をするというもので、休日のゆったりとした時間を楽しむことができます。しかし結婚したあとはこれらのブラリ旅も困難になることが予想されます。休日に家事もせずに外出を繰り返しているとそのうち怒られてしまう可能性があるのです。そう、それこそがまさに青春の終わりそのものです。青春18きっぷというネーミングの18には特にこれと言った意味はないそうです。ただ青春っぽいというそれだけの理由です。つまり青春というのは自分が今青春していると思っていれば年齢は関係ないのです。しかしその無限だと信じていた青春にも終焉は訪れます。この宇宙ですらいつかは終焉を迎えます。そうして人は大人になっていってしまうのかもしれません。

総武本線の209系電車

青春を終わらせるのは時間の経過などでは無い。自分自身なのだ。

育児とその責任

子供は欲しくなるものなのか

結婚する前に子供が欲しいかどうかという話を結婚をする予定の人とすることがあるかもしれません。この時、相手がまあ別に子供はいいかなといった発言をしたとしても要注意です。人間というのは結婚をするとその意見をくるっと変えてしまう場合があるのです。もし結婚してからもできれば自由に過ごしたいなどの理由で子供はまあいいかと思っていたとしても、相手の意見によってそれを結果的に諦めなければならないということもあるのです。

夫婦の問題で済まない場合も

子供を作るかどうかといった問題は、夫婦の間で決定すれば良いのではないかと思われるかもしれません。今井智大も結婚についてはそのようについて考えていました。しかしながら実際に結婚をすると決して夫婦だけの問題で済まないという場合もあります。たとえば相手の両親とも家族になるのだということを考えると、その相手の両親にも色々言われることが出てきてしまうかもしれません。そこで自分の意見を通すかどうかというのは自由だとは思いますが、反発し続けたりすると軋轢が生じたり、関係悪化が懸念されます。そうなるとお盆やお正月といったタイミングで会うときに気まずい思いをしてしまうことになるかもしれません。

子供の躾と常識

そして子供ができた場合には、単に食事などの面倒を見るだけでははく、自分でその子供をしつけたりする必要があります。それはその子供が社会人として十分な常識を備えた人間になれるようにするためです。そのためには必然的に親に常識が求められます。親に常識的な知識や感覚、行動がなければ当然子供はまともに育たない可能性があります。そうなるとその責任を親に追求されてしまう場合があります。具体的にはあなたは子供にちゃんと注意しているんですかといったような事を言われることがあるわけですね。これはかなり面倒ですし、なんで自分が親だとはいえそんなことを言われなければならないのかと不快な気持ちになることもあるでしょうから注意が必要です。

結婚よりも風俗という究極の選択肢

恋人を作るとか、結婚をするといった点においては、自分は本当にそれを求めているのかという事を今一度自分と向き合って考える必要があります。特に中高生の男子に彼女が欲しいかというと高確率でほしいと答えることでしょう。しかしそれは多くの場合単純に性交渉、要するにセックス目当てであることがほとんどです。それは高校生だけにみられる現象ではなく、大人になっても根本的な部分は変わらない場合があります。そして本当に単純に自分が性的な事のみを目的としているという事に気づけたのであれば、それは結婚を取りやめ、そのための資金を直ちに風俗に注ぎ込む準備が整ったと言えるでしょう。

結婚をしていると中々風俗に行くのも難しくなります。金銭的な部分の問題もさることながら、バレないようにするというのが非常に難しくなるという場合があります。一方で結婚をせずに風俗三昧という選択肢を取るのであれば、様々なマニアックなプレイも堪能することができますし、何より多数の女性を楽しむことができます。そうした生き方もあるという、一つの選択肢が存在していることを意識してみるのも良いのではないでしょうか。

彼女が居ても海外風俗

2019年頃は未だ世界が平穏であったため、今井智大はヨーロッパ周遊旅行へと行ってきました。その時には一応彼女と呼ばれるようなものが居たわけですが、当然一緒には行かず、一人で風俗三昧をしてきました。彼女を海外に連れて行くよりもやはり現地の風俗に投資するほうが世界経済の観点からみても良いという判断によるものです。

海外の風俗を堪能した今井智大

海外の風俗店で爆乳金髪美女2人と3P性行為を堪能した直後の今井智大

ウィーンで行った風俗では爆乳金髪美女2人とまさかの3Pまでやってしまいました。そしてプラハの風俗ではこれまた爆乳金髪美女とお楽しみ遊ばせましたね。やはりこういった体験は最高ですし、それが実現できるのであればぜひやるべきであると思いました。あくまでも今井智大の個人的な感覚としては、結婚よりもこうした体験を繰り返すことのほうが自分自身の人生をより魅力的に彩ることができるものであると大いに感じたものです。

真実の愛は風俗にあり

愛というものを考えるとき重要になるのは相手のことを考えるかどうかという点は重要になってきます。しかし人間というのはその意思や感情をすべて伝達できるわけではありません。また、大学時代の心理学の授業の評価が結構良かった僕から言わせて貰えば、心理的な観点からすると「人は見返りを求める」というのが大きな要素になります。例えば、お腹が空いた場合、ご飯を食べたくなりますよね?これはお腹が空いてもご飯が食べたくないということになってしまいえば、最終的に生命維持に支障が生じる可能性があるからです。それと同様に、相手のために何かをするというのが愛であったとしても、どこかそれは見返りや対価を求めてしまうのです。実際にそういった言動や態度を取らずとも、無意識のレベルでそういったことを考えてしまうのが人間なのです。だからこ「自分はこんなにしてやったのに」とかいう呪縛に囚われてしまうのです。結局のところ、愛という概念は存在することは間違いありませんが、光で照らせば影ができるように、相反する感情も生じてしまうのが人間の悲しいところです。ほんとうの意味でこうした精神から解き放たれるには修行僧にでもなる必要があるかと思います。

つまり、恋愛や結婚における愛というのは、その対価として、前述の「見返り」問題を発端としてすれ違いや様々な問題を引き起こすリスクが生じると言えます。それは「愛」という言葉が持つ本当の意味を体現していると言えるのでしょうか。一方で風俗における愛というのは極めてシンプルかつ洗練されているです。対価は数値で表記される「料金」という目に見える形で提供することができます。つまりお金で性的サービスを享受できる風俗にこそシンプルかつ明確な真実の愛があると言えるのです。複雑で難解、そしてその割に一切の生産性をもたらさず、日々SNSでグチグチと書き込まれ、精神的負担を強いるものが愛と言えるのでしょうか。否、風俗のように後腐れなく、割り切ったものこそが真実の愛であるのです。シンプルなものにこそ真実は宿ると言えるでしょう。

有名な風俗情報サイトに「ぴゅあらば」と呼ばれるものがあります。これは英訳すれば「pure lover」、そう、真実の愛という意味になります。こうしたところからも風俗こそが愛を体現する存在なのだということを伺い知ることができるのではないでしょうか。

結婚のメリット

子孫と国家の繁栄

国家というのは当然ながら国民が居なければ成立しません。そしてその国民を維持するためには新たに子供が必要とされるわけです。自分の子供を作り、育てていくということはそれ自体が社会に貢献することになると考えることができるでしょう。

健康管理

ひとり暮らしの場合寿命が短くなる傾向にあると言われています。結婚することによって、ある程度の健康管理ができるようになり、寿命が伸びると言われています。しかしこれには個人的には疑問が残ります。しかしみんながそういった健康管理ができるとは限りませんでし、結婚によって生じるストレスが一定以上に大きくなってしまう場合は、逆に健康を悪化させてしまう可能性がありますから十分に注意する必要があります。

老後

老後の問題を考えたときに、たまに聞くのが孤独死に対する恐怖ですね。しかしよく考えたら自分はすでに意識を失っている状態ですからそれ自体は自分自身はそこまで気にしなくて良いのかもしれません。とりあえず調子が悪いとちょっとでも思ったらすぐに病院に行くのが重要でしょう。これは結婚とは関係なく当たり前のことであると言えるでしょう。

自分の親

結婚すると自分の親が喜んでくれたりするかもしれません。しかし親の中には子供が結婚して遠くに行ってしまうことを望まない場合もありますのでこのあたりはどう考えているかをしっかりとリサーチしましょう。一方で、結婚もせず孫の顔も見せることが無いのであれば、それは親不孝であり、親を悲しませるという意見も聞きますが、決してそうではありません。親としては子供が健康かつ幸せに生きてくれることを望むはずです。それと結婚するかどうかというのは全く別の話ですから混同しないようにしましょう。親のために結婚するというのでは本末転倒ですし相手にも失礼に当たるでしょう。

結婚と責任

「成人」と「大人」

現在の日本においては18歳以上の人間は「成人」として扱われます。成人というのはその年令に達したのであれば、十分な責任能力と判断能力が存在すると見なされるわけです。しかし実際の所、精神的・肉体的な成長というのは大きな個人差があります。それは本人の生まれ持った感覚や自覚や努力、また教育など周囲の環境などによる変化が大きく、不確定要素の多さから一概に言えるものではありません。しかしそれでも18歳を成人とするということは、これは法的な規制や様々な手続き上の観点から、成年と未成年とを明確に区分する必要があるために設けられたものであると考えられます。しかし「大人」という概念はそれとは異なり、もっと本質的な概念であると思われます。つまり「成人しているが、大人にはなれていない」という人間が少なからず居る事でしょう。ニュースやネットを見ていると、見苦しい言動や行動を繰り返す「成人」が多数居ることに驚かされます。一般にこうした人間は「情けない」という評価が下されます。

結婚そのものは「成人」していればすることができます。しかし本当の意味で「大人」になっていなければ家庭を持つということに対する責任を果たすことができないのではないでしょうか。

幸せに対する責任能力

よく「娘さんを必ず幸せにします」といったセリフは結婚と挨拶というシーンにおいて聞くことができます。この言葉に表されるように結婚するということはその相手を幸せにする責任が生じるということです。しかし幸せというものは何でしょうか?これは定量的に計測することができません。電圧や放射線のように測定して、どこまでならOKといったような判断ができない極めて曖昧なものです。場合によっては相手のお腹の空き具合だけで大幅に変わってしまうこともあります。こうした現状において「幸せにする」という責任というのは、どれだけのリソースを割き、努力ができるかということにかかっています。

「脱婚」理論

結婚というものに対する感覚が極めて「他人事」であるということ、また興味がない、興味を持とうともしないこの生き方については「脱婚」という理論が適用可能なのではないでしょうか。それは決して精神的未熟さ、社会的な責任感の欠如という点のみならず、自らの意思で好きなように生きるという希望の現れではないかと考えることができます。つまり、この「脱婚」においては、負担を軽減し、時間や金銭といったリソースをまったく新しい方向に向けるわけです。要するに脱サラとか脱ダムとかそういったものに類似するのが脱婚であると考えることができますが、結婚状態を解消するのは「離婚」ですから、これとは全く異なる考え方であることに留意しなければなりません。

総論

享受できるメリットと、受け入れるべきデメリットのバランス論

結婚において得られる幸せな部分と、そこで我慢するべき部分というのはどちらも必ず存在すると言えます。しかし幸せとされている部分を、自分自身が本当に幸せだと思えるのか、みんなが我慢しているからといって自分はそれを我慢できるのか、そういった根本的かつ本質的な部分を考える必要があります。そして自分がメリットと感じる部分が、デメリットである部分を上回ると確証できるのであれば結婚するのが良いのではないでしょうか。不本意な結婚は自分だけではなく相手や、場合によっては子供や両親にまで悪影響を与える場合があります。様々な観点から自分の結婚というものをしっかりと考え、人生を形成していくことが重要であると言えるでしょう。

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